三日坊主からの復帰(天邪鬼篇)
生まれて初めて作った蝶々(レジン)
レジンと申せば、少し前まで老いも若きもこぞってビッグウェ〜ブに乗れと言わんばかりに宣伝されていた記憶がある。
今ではハーバリウム同様、気軽に試せる趣味として一般に広く親しまれているものだ。
なんでまた今更レジン加工品を作ろうと思い立ったのか?
答えはシンプル。
ワタクシ、極度の天邪鬼でございましてな。
流行りのものにすぐ乗っかるのはイヤなんです。
他とはどこか違っていないと落ち着かない、虫唾が走る、挙句の果てには発狂してビビットカラァの服ばかりを纏って外に出たくなる始末。いや重症だなこれ。
どうしてこんなに他と違っていないとイヤなのか。
ひっくり返るくらいもどかしく、過去を振り返ってみた。
小学校や中学校の時、皆が難なく出来ることが出来なくて、いじめのようなものにあった。その時自分にこう言い聞かせていた。
「自分が悪いんじゃない、学校で教えられる『普通』にならされた皆が理解出来ないだけだ」
と。
当時はそう思うだけで我慢しさえすれば卒業でき、次のステージに進むことができた。
そして高校はそんな地元と離れ、隣の都市の私立高校へと進学した。幸いにして周囲の人間関係にも恵まれ、失った自尊心をほんの少しだけ取り戻すことが出来た。成績も好調で、クラスでも割と上の方にいたおかげで推薦もしっかりと選ぶことが出来た。
推薦先は幼い頃から興味を抱いていた「古文書」を扱う学科。日本史を専門に研究をしてみたかったのである。幼稚園から今に至るまでの自分の軸となってきた戦国時代の知識。それを思う存分引き出せると考えるだけでココロが震えた。
そしてほぼダメ元のようなレポートを入試BOXにぶち込み、しどろもどろ不審極まりない面接も通り、文字通り奇跡のような確率であった「合格」の二文字をあっさりと手に入れてしまったのだ。(なんで奇跡かって?英語が壊滅的に出来なかったからです…)
大学では自分のステータスはもはや普通となり、人と違っていた「戦国時代の知識、情熱」さえ周りに遅れをとった。
残ったのはむき出しのままの自分自身。いじられていた頃と何も変わらない自分自身だけが燃え滓のように置き去りになっていた。
無理矢理人並みに喋れるようにした。
無理矢理考え方も変えた。
無理矢理就活をするために型に自分を嵌め込んだ。
結果はどうだ。
尖ってたはずの所を毟り取ったら何も残らなかった。
かつての担任が認めてくれたような「一本の筋が通った考え」は今やどこにもなく、フラフラふらふらと根無し草のような有り様を晒してなんとか「人間として」生きている。
だが「自分」は?自分と他と、何が違うの?その他大勢と違う所がないのならば個として生きる意味は存在し得ぬとの考えに至り、これ以上生きるだけ無駄になろうと断じた。
天邪鬼が極まったのは…よりによっていまこの時であると知った。
その考えに従うのならば、会社を辞めて「転職なぞ真っ平だ。自分が無理をしないように生きて何が悪い」
とでも言い放って家を飛び出すのが正解だろう。
だが、結局のところまた土壇場で諦めるのだろう。
面倒ごとを少なく済ませたい性分だ。